日本三景のひとつとして知られる広島県廿日市市宮島。厳島神社および弥山(みせん=535メートル)原始林は、ご存知の通り世界遺産に登録されています。宮島にある寺院の中で最も歴史が古いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきました。ここで不動明王をまつる不消霊火堂では、大同元年(806)弘法大師空海が100日間、求聞持修法(ぐもんじしゅうほう)を営んだ時に焚かれた護摩の火が、以来1200年間燃え続けており、霊火「消えずの火」として今に伝えられています。この霊火は明治34年(1901)に操業を始めた八幡製鉄所の溶鉱炉の種火になったといわれ、また広島平和記念公園の「平和の灯火」の火もここから採火されました。さて「消えずの火」には鋳物の大茶釜が吊るされています。この釜の湯を飲むと万病に効果があるといわれていますが、大茶釜の製作には極めて高度な鋳造技術の粋が結集されているのです。昭和47年(1972)、当時の大聖院座主吉田裕信氏より当社に大茶釜の製作依頼がありました。製作にあたり当社の鋳物技術者島岡義彦、沖野徹、田中淳が霊火堂に赴き、吊り下がっていた大茶釜を降ろし、スケッチしたものを持ち帰り、図面化して作業にかかりました。スケッチした古い大茶釜の製作者は不明でしたが、形を忠実に再現することを目標に、ベテランの島岡、沖野が鋳造方案と指導を行い、実務は山崎保男が担当し、無事納入することができました。ところが33年後の平成17年5月5日、霊火堂から出火焼失。「消えずの火」は無事燃え続けていましたが、残念なことに大茶釜は割れてしまいました。折りしも翌平成18年は空海開山1200年にあたる年でもあり、現座主吉田正裕氏より再び新しい大茶釜の製作依頼があったのです。前回製作した大茶釜の図面や鋳枠等は残っていませんでしたが、図面に相当する掻き型用ゲージが残っており、それを活用しました。従来の焼型、特に工芸的な美しい鋳物を作る指導が必要だったため、33年前に作業に携わった山崎保男に指導を依頼。山崎を中心に吉田工場の長門、竹岡、久保で製作チームを編成し、大茶釜の製作にあたりました。このとき座主の了承を得て、大聖院に納入する大茶釜と同じものをもうひとつ製作しました。こちらの大茶釜は現在当社本社ビル2Fの展示場に展示されています。平成18年(2006)空海開山1200年。大聖院では盛大に記念行事が催され、鋳物技術の伝承を経て製作された大茶釜は再び「消えずの火」にかかることとなりました。